GWに散歩で隣町の古墳へ行ってきたって話:八條殿社古墳
不要不急の外出は控える?
はい控えてます。一応。
不特定多数とは合わないようにしてます。
友人3名が我が家にって話になってますのが、まあ、それは仕方ないかなんて思ってます。
それ以外はホントなんもすることない。
居酒屋は結構閉まってるし
いや、マジでどこも行かないとなると、ホント暇(と言っても酒は買いに行ってますが)。
暇人ぶっこいて、体と頭が鈍りそうなので、ウォーキングをしました。
どうせ人と濃厚接触なんてないので、その位の外出は不要不急でも、問題ないだろうと。
とはいえ近場のいつものところをウォーキングとはGWっぽくないので、行った事の無いところへ!
が、小生、齢40に差し掛かるにもかかわらず、車の免許は持ち合わせておらず、ロードバイクのお手入れも怠り使用不可なため、足で距離を稼ぐことになりました。
電車で栃木まで行って探索でもと考えもしましたが、それはそれで密要素ができてしまうので、ちょっと考えた結果、歩いて1時間くらい、往復、道草で3時間目安、のここへ
八條殿社古墳/?/市指定
我が家から5㎞ほど。
理由はグーグル先生に最も近い古墳がこことのことでしたので。
八潮市唯一の古墳「八條殿社古墳」に行ってきた
Google Mapを見つつ現地に到着。
ん?
たぶんこれだ。
やっぱり。
大物古墳(自治体の方針)だと、「○○古墳は→」的な目印があるのですが、大半の古墳はここのようにひっそりあるんです。
それからここは、正直小っちゃい神社、社、祠って感じ。
結構そんな雰囲気があるので、これを目的に来ると、分かるけど正直初見ではまず古墳とは気付かないと思います。
とはいうものの、どこらへんが古墳なのか、全貌も何も全く分からない。
それではまず、周りの様子をどうぞ。
鳥居
周辺
古墳の雰囲気は皆無。
円墳?前方後円墳?それとも…
わからん。
でもこんもりしてるのは確かです。
八條殿社古墳は孤独で、ちょっと寂しい古墳?
さて、このちょっと変わった古墳、八條殿社古墳とはどんなところなのか、ここに書いてあるところによると
『新編武蔵風土記稿』に
「八條殿社 塚上ニ社ヲ建。内ニ神体トテ古碑二基ヲ置。一ハ弘安七年。一ハ慶安四年五月二十七日宗源禅門ト彫レリ。是尋常ノ古碑ニテ当社ニ預リシモノニハアラズ。一説ニ月輪太政大臣兼実ノ三男八條左大臣義輔罪アリテ当国ニ左遷シ此地ニテ逝セシカハ其霊ヲ祀シト。此説覚束ナシ。義輔系図ニハ良輔ニ作ル。当所ノ地名ニヨリテ此人ノ事を付会セシナラン。又当国七党系図ニ出タル在名此辺ニ多く残タレバ村名の條ノスル所七党系図八條五郎光平等カ家号ヲ付会セシモ知ベカラズ。サレド塚上ヲ平ケル所ヨリ石槨ノ著シ様古墳ナルコト知ラル。」
らしいんですよね。
ん~読み難い、古文を避け続けてきた人間にとっては外国語。
現代語訳付けていただくと非常にうれしい。
まあ、塚があって石槨もあるってんだから古墳じゃない?ってことでしょうか。
現代に入ると(明治時代)いろいろあって廃社にあって、そん時に中身の物はなくなっちゃったってことでした。
こういった小さい古墳は、地域の信仰と密接に関係してたんでしょうね。
それで、大きな歴史の流れの中で廃社。
それから、本当はこの周りにも、こんな感じの古墳があったんじゃないかと思うんですよね。
草加、川口、越谷、八潮、三郷には古墳はなく(おそらく)、川口に貝塚がある程度。
でも、葛飾区(江戸川)、北区・荒川区(荒川)、足立区(毛長川)など、隣接している東京都の河沿いに古墳があるので、上記埼玉県市内にも古墳は結構あったんじゃないかと思う。
さいたま市には結構あるし、こっち側にもあって良いと思うんですよね。
いやあったに違いない。そう思いたい。
歴史的背景からも、立地から見てもちょっとさみしそうに見えてくる、センチな(古!)古墳でした。
以上